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平成21年の私・西浦騎鶴が会員の皆様にお届けしたの年賀状は 作家の城山三郎の言葉に「仕事と伴侶、その二つが好きなら、その人の人生は幸福である」とあります。 「理容と伴侶と藝美会が好きなら、人生は幸福、サロンは繁盛する」と確信します。 金融不況の年、全日本藝美会は「縁の回復」と「理容美容にこだわらないデザイン」と定め、理容の生き残りをお賭け、会員を導いて参ります。 と記しました。 自分の仕事である理容が好きである。好きである姿勢に、お客様が気に入ってくれるのです。好きならものの上手なれ。という言葉があるように、好きなら技術も上達して行きます。 伴侶が好きであることは、ともに働く夫妻が好きであるなら、サロンは楽しい、明るさが現れ、お客様も気分良くして下さることになります。 藝美会が好きであることは、藝美会三則の心を持って毎日の仕事に励んで下さるわけで、愛と誠の精神がお客様に伝わ流ことは確かであります。 今年一年、理容と伴侶と藝美会を更に好きになって下さい。その気持がお客様にきっと伝わります。 愛と誠の心こそ、お客様とサロンの主人、奥様、スタッフを結びつけ、お客様が来て下さる力となります。 2008年3月から「騎鶴は語る」を休ませて頂いておりました。今年は、土曜日を更新日として、騎鶴は語るを」語りたいと思っています。 長い間のサボリをお詫び申し上げます。 総本部 西浦騎鶴 |
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理容椅子が売れない。と言われる。そうした中で、新明和が理容椅子事業かれ撤退すると言われています。デザインはもう一つあか抜けていないけれど、椅子自体が頑丈である。と言われていました。 新明和の元は、川西航空機という会社で戦前には、名戦闘機「雷電」を製造し、戦争中の私の子供の頃、鳴尾(今の甲子園団地)の飛行場から飛び立った「雷電」が日本を空襲したアメリカのB29爆撃機と勇敢に闘ったものである。 飛行機の技術、油圧の技術を使って、ハイドリックの理容椅子の製造販売に乗り出したのです。長い間、製造販売を続けており、それなりのフアンもついていたようだったのですが、ついに理容椅子から撤退することのようです。 今の理容業界が新明和の経営を支えられる力がなくなったのかも知れません。理容椅子から撤退するけれど、会社は存在しているのですから、メンテナンスは続けるようで、その点は安心です。 そうしたとき、理容店の表を飾っていた組合員の標識の製造販売をしていた日本標識が倒産をしたと聞きました。 標識は、サインポール標識、時計つきの標識などへと高級化して行き、標準営業約款の店内標識も製造販売するなど、組合員しか使わないのですから、どうしても組合と一体化した販売をしてきているようです。 時計付きなど高額化してきているだけに、売れにくうなっているだろうし、売上減少から組合員も買わなくなってきての倒産の」ように考えられます。 いずれにしても、売上低迷している理容業界が、業界の周囲で商売しているメーカーを営業維持出来なくさせてしまっています。 理容店の減少、組合員の組合脱退が多くなっているとき、理容店への商売が厳しくなっていることを、考えさせられる出来事であります。 寂しいことでありますが、理容の周辺は無くなったけれども、理容自体はもっと努力して、芸美会員は、「進化と充実」を図り、理容の灯火を消さないように頑張りたいものです。 総本部 西浦騎鶴 |
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3月15日のJRの列車時刻改正で、長崎発の寝台特急「あかつき」号が運転を取りやめる。 「あかつき」は1965年に新大阪ー長崎間の夜行寝台特急として運転を始めて42年の間、長崎、佐賀の会員の皆様が、本部道場での全国研修会、青年教室、競技大会に受講、出席されるときに、ご利用された列車で、夜仕事を終えて乗車すれば、朝神戸に着き、研修会に受講できる便利な列車であった。 私も長崎、佐賀に出講するときよく乗りましたが、寝台券がなかなか取れない列車であり、常に満員の列車でありました。 その切符が取れにくい「あかつき」が、今は10%程度の乗車率で採算の取れない列車になってしまったのです。 飛行機や早くなった新幹線や夜行バスにお客様を取られてしまい、ついに赤字列車になってしまい、廃止となった。 長崎、佐賀の多くの会員の皆様が、夜行列車に乗って、本部道場に研修に来られて、勉強に励んだ思い出を持っておられると思います。 1日の仕事終えて、夜行列車で寝ている間に本部道場に着き、研修をして、帰りの「あかつき」で寝ながら帰り、朝の開店に間に合う、営業に差し支えない、合理的で便利な列車でありました。 長崎・佐賀の会員の皆様にとって、自分のレベルアップを図ってくれた「あかつき」がなくなってしまった時、長崎新幹線の工事に取りかかるという新聞記事を見ました。 「あかつき」が無くなっても、本部道場に飛行機、新幹線に乗って、研修会に来て下さるように願っています。 私事ですが、長崎の吉岡末広先生夫妻の結婚式に仲人をするため。「あかつき」で長崎に向かう途中の列車で、盲腸になり、痛みをこらえて長崎に着き、そこで手術をしたという痛い思い出もある「あかつき」です。 客が来なくなり閉店するという商売店も多くあります。私達理容店もそうならないように努力しなければ、「あかつき」のように廃止になってしまいます。 総本部 西浦騎鶴 |
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1月17日は、阪神大震災で、総本部道場が倒壊した日です。私は九州山口ブロック会議で延岡におり、本部道場と私達たち家族のことを心配して、大変な状況の中を尋ねて下さった、上床洋一先生はスクーターでトンネルを走るときは恐かったと言われ、一番近い奥村武久先生はご自分の家が倒壊しているのにもかかわらず心配して尋ねて下さいました。 辻貢先生はオートバイで月光仮面のような姿で尋ねて下さり、滋賀の故・田口先生は手引き車に水や食料を積んで歩いてきて下さり、帰えらなくなり、壊れている本部の部屋で、余震が起きたら一緒に死んでしまおうと共に眠ったのでした。 神戸に入れるようになり、大阪、奈良、滋賀から、そして遠い所からお見舞いに、大変な苦労を掛けて尋ねて下さいました。 嬉しかったし、力を鼓舞して下さいました。 1月17日こそ、芸美会にとっても私達にとっても会員各先生への感謝の日であります。 13年目に当たる時、芸美会の創立メンバーで兵庫県芸美会本部長の内匠忠先生の夫人と兵庫県芸美会本部長で、兵庫学会や競技大会や50周年式典の実行委員長を務めて下さった中山清太郎先生の夫人が家の倒壊で亡くなられて居られます。 1月17日東遊園地にある慰霊室に、お二人に名札がありました。芸美会では内匠夫人、中山夫人のお二人が震災の犠牲となられています。 家、店の倒壊で大きな被害を受けられましたが、その会員は皆元気で震災13年目を迎えています。 13年前に頂きました会員各先生からのお気持ちを感謝の気持ちで迎えております 総本部 西浦騎鶴 |
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松下電器がブランド名のナショナルを廃止して、その上松下電器という会社名を捨てて、音響機器のブランド名であるパナソニックに統一して、しかも会社名もパナソニックにする。と言う。 松下電器のCMソングに「明るいナショナル、明るいナショナル・・・・何でもナショナル」とあるように、ナショナルチエーンストアという夏下の品物しか置いていない電気屋が、関西では町のどこにでもあったのです。それほど、ナショナルは町と市民に定着していたのです。 ナショナルは,創業者の松下幸之助氏は一代で築いた関西の誇りとする会社であり、経営の神様と言われ立志伝中の人物の松下さんの会社として、松下さんの人物への信用・信頼により、関西のお客さんは松下の品物を買って居たのです。 もう、松下さんの時代ではない。松下さんが亡くなってしまったので、日本の名前から世界に通じる名前にしよう。というのであろう。 もう創業者の松下さんの名前は要らないのだろう。 関西では、ナショナルの松下、タカラの吉川、グリコの江口という3人の創業者がおられ、それぞれ小学校卒業の学歴で、大会社の育てた立志伝中の人物として語り継がれ、友情も交わされたようでう。 グリコからは江口という名が抜け、松下・ナショナルの名は亡くなり、吉川タカラは、宝椅子からタカラベルモントに名前が変わったが、タカラの名は残っています。こうなったら是非、タカラの名は残して欲しい。 理容店には、主人の名前の店名が多い。主人の価値が店の価値なのです。主人がブランドなのです。 今、主人の名前を捨てて、カタカナ名前の店名にする理容店も多く見られます。 名前を変えて心気一転も必要です。主人の名前こそブランドになっている理容店も多いのです。 自動車会社は、どこも創業者の名前で、トヨタ、ホンダ、スズキ、そして、フォードと世界ブランドになっています。松下・ナショナルでは世界ブランドにはなりにくいのでしょうか。 もう一度、ご自分の店の名前を、店の外から店の看板を見つめ直し、自分の店名はブランドになっているか。もう一度、考えて下さい。 総本部 西浦騎鶴 |
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